日本刀の恩人は外国人
日本刀と日本の歴史を追っておりますと二人の外国人の名を目にする人々も多いのではないでしょうか。「キャドウェル大佐」と「コンプトン博士」であります。両者は、日本刀と日本人の密接な関係性を理解し、日本刀の存在を救った恩人でもあるようです。
1945年、日本が敗戦をむかえたポツダム宣言にともない、GHQが下した日本刀をはじめとする日本国内の武器の収集に対して、本間順治(ほんまじゅんじ)と佐藤貫一(さとうかんいち)が、日本刀のスクラップ化を食い止めようと声をあげた際に二人の訴えに同調してくれた日本刀の恩人であるのがキャンドル大佐であったようです。
残念ながら、当時、日本刀を凶器や武器として認識していたアメリカ人によって、スクラップにされてしまった国宝級の名刀は数多くあったようですが、本間順治、佐藤貫一らがあげた声を聞き入れてくれたキャンドル大佐の計らいによって、現存する数々の国宝級の名刀は難を逃れたようです。
コンプトン博士は、幼少期から日本刀に興味をもっていたそうなのですが、戦後、日本の敗戦とともに海外に流出した日本刀をアメリカの地でみかけた際に、それが備前三郎国宗(びぜんさぶろうくにむね)の作品であることを見抜いてしまったそうなのです。
博士は国宝級の名刀を母国日本に帰還させてくれた恩人として、日本政府から勲四等旭日小綬章が贈られたそうです。現代の日本を生きる私たちにとって、日本刀は身近な一般的なアイテムではありませんが、当時のアメリカ人が、日本刀の存在する価値を理解してくれたことは、まさに奇跡とも言えそうです。