これまで日本人は多くの名刀を贈答品として扱ってきました。
特に有名なのが鎌倉時代の贈答文化で、長船派と呼ばれる刀匠たちの傑作「長光」や、来派の「来国次」は、その名から贈答品の筆頭に選ばれました。
贈答文化は最高位に付いている将軍とその一族もまた倣ってきたもので、かの有名な正宗の作品は将軍家で代々受け継がれてきました。
徳川幕府は家臣の忠誠を何より重んじたことから、寵愛を受けた武士は皆、鬼籍に入った後に所有する日本刀を徳川家に献上するのが慣わしでした。
日本刀のやり取りはあまりにも盛んであったため、多くの逸話も残されています。例えば、享保の時代に吉宗の長男がやっかいな病気に罹患していましたが、治療の甲斐あって治った時には、名刀中の名刀が吉宗から贈られました。
当時の人々が日本刀の霊的な力をどこまで信じていたのかは分かりませんが、守り神のように扱っていたことは確かです。
面白いエピソードは他にもあります。
皆さんは敵に塩を送った故事として有名な、武田信玄と上杉謙信の話をご存知でしょうか。概略だけお話しすると、当時の武田信玄は今川氏と手を切ってでも進出を企てるやり手でしたが、その今川氏が策を練り、武田領内の塩を枯渇させたのでした。その話を聞いて驚いたのが謙信で、ライバルであるにもかかわらず、謙信は塩を贈ったのです。
謙信が何故このような行動に出たのかは、当時の手紙がはっきりと示しています。謙信は正々堂々と戦ってこそ武士であると考えていた節があり、今川のやり方に憤激したのでした。武田は当然この謙信の手紙に感動し、その返礼として日本刀を贈りました。この日本刀も名刀中の名刀で、外見の良さと頑丈さを兼ね備えた素晴らしい刀でした。実はこの刀は残存しており、東京の博物館に重要文化財として眠っています。
日本刀の刀身彫の模様
日本刀の刀身彫の模様ですが、梵字というのがあるそうです。
梵字というのは、サンスクリット語の梵字で表現した図だそうです。
陰刻で表現されることが多いそうです。
羂索というのは、不動明王が手にしている綱の図だそうです。這龍というのは、護摩箸と対で表現されている場合があるそうです。
そんな場合には、龍は善の象徴だそうで、万物の守護を目的としているそうです。珠追龍、昇り龍、降り龍というのは、古代中国の神仙思想を背景とするものだそうです。竜神信仰というものがあって、彫り表されたものだそうです。
珠を追い掴む龍、天を目指す龍、地上に降りる龍を対で表したものが多いです。
蓮華、蓮台というのは、素剣などの密教具に添えて彫り表されることが多いそうです。上部に描かれたものを蓮華、下に配されたものを蓮台というそうです。
爪・鍬形というのは、素剣など密教具の下に添えて描かれていることがあるそうです。湾曲した簡潔な筋状の図柄だそうで、三鈷柄剣の爪を意匠化したものだそうです。特に長く延びたものを鍬形と呼び分けているそうです。
旗鉾、毘沙門天、というのは柄の付いた十字形の剣先に旗が絡んでいるという図のことをいうそうです。毘沙門天の留守模様というものだそうですが、不動明王と同様に、所持者の守護という意味があるそうです。
梅龍というのは、倶利伽羅図の剣を梅龍に代えた図だそうです。
江戸時代に登場したものだそうで、華やかで洒落ているのだそうです。文字彫というのは、漢籍に出典がある文字や詩、和歌などを彫り表したものだそうです。文字は主に陰刻で表現されるのだそうです。地肉彫というのは、刀身表面を深く鋤下げて、図柄を肉高く表現する手法だそうです。
日本刀の買取をしてもらう場合、このような装飾というのも重要なポイントになるんだとか。
何気ない文様に見えても、調べてみると案外深い意味があるのかもしれませんね。