Gears-日本刀の種類と部位-

カート

「剣」「薙刀」「槍」「矛」

「日本刀」と呼ぶことのできる武器は、一般的に知られる太刀類の他にも「剣」「薙刀」「槍」「矛」などが存在していたようです。平安時代の後半頃まで両刃の「剣」類が作られていたと考えられておりますが、その多くは神事などに用いられていたのではないかなどと考えられております。「薙刀」は、平安時代の後半から主に登場する武器であるようです。「薙刀」が、戦いの場で最も使用されていたのは源平合戦から鎌倉時代後半までではないかなどと言われており、主に一対一の接近戦などに用いられていたのではないかと考えられているようです。現存する「薙刀」は希少なものとして扱われているようです。調べれば調べるほど奥が深いかもしれませんね。

日本刀の恩人は外国人

日本刀と日本の歴史を追っておりますと二人の外国人の名を目にする人々も多いのではないでしょうか。「キャドウェル大佐」と「コンプトン博士」であります。両者は、日本刀と日本人の密接な関係性を理解し、日本刀の存在を救った恩人でもあるようです。

1945年、日本が敗戦をむかえたポツダム宣言にともない、GHQが下した日本刀をはじめとする日本国内の武器の収集に対して、本間順治(ほんまじゅんじ)と佐藤貫一(さとうかんいち)が、日本刀のスクラップ化を食い止めようと声をあげた際に二人の訴えに同調してくれた日本刀の恩人であるのがキャンドル大佐であったようです。

残念ながら、当時、日本刀を凶器や武器として認識していたアメリカ人によって、スクラップにされてしまった国宝級の名刀は数多くあったようですが、本間順治、佐藤貫一らがあげた声を聞き入れてくれたキャンドル大佐の計らいによって、現存する数々の国宝級の名刀は難を逃れたようです。

コンプトン博士は、幼少期から日本刀に興味をもっていたそうなのですが、戦後、日本の敗戦とともに海外に流出した日本刀をアメリカの地でみかけた際に、それが備前三郎国宗(びぜんさぶろうくにむね)の作品であることを見抜いてしまったそうなのです。

博士は国宝級の名刀を母国日本に帰還させてくれた恩人として、日本政府から勲四等旭日小綬章が贈られたそうです。現代の日本を生きる私たちにとって、日本刀は身近な一般的なアイテムではありませんが、当時のアメリカ人が、日本刀の存在する価値を理解してくれたことは、まさに奇跡とも言えそうです。

日本刀の歴史について

現存する最古の在銘刀というのは、伯耆国安綱という人が作ったものであり、彼のことを「日本刀工の祖」という説もあります。

鎬造りの彎刀である太刀の出現というのは、平安中期以降と言われており、これは長寸にして騎馬戦で使いやすいようになっているものです。

この長寸で反りが高く進化した太刀というものは、武士団の勢力が増大しはじめた11世紀後半以降から、盛んに作られるようになったそうです。

武士団の勢力が増大しはじめたからだそうです。(前九年の役、後三年の役以降)
平安中期から江戸時代になる直前、慶長年間より前までにつくられた刀剣類は古刀に分類されました。

上古刀というのは、刀身と柄が一体の共柄ということでしたが、太刀、刀、脇差というのは、刀身と柄は別々に製作されています。

そして竹目釘というもので、刀身と柄は接合一体化されていました。

日本刀の作刀の「焼き入れ」

“焼き入れをすることで刃が硬くなるばかりでなく、日本刀鑑賞ポイントの「刃文」があらわれ、反りが生まれる。焼き入れの日には刀匠は神棚を清めて柏手を打ち、成功を祈る。「焼き船」と呼ばれる、焼いた刀身を水(ぬるま湯)で冷やす為の 檜の水槽は 割れない 数字「7尺」であつらえる刀匠も多い。

 焼き入れによって命を吹き込まれたがまだまだこれからです。茎(なかご)に鑢(やすり)をかけ、銘を切ったら、刀匠のてを離れ、「研ぎ師」に回される。「研ぎ」の工程では、地は青黒く、刃は白く研ぎ、棟と鎬地には光沢を出し、切先を仕上げる。

 さらに、白銀師、鞘師、柄巻師、鍔師、塗師の手により、それぞれの匠の技によって刀装小道具(刀剣を携帯し、使用しやすくするための付属物)が作られようやく一振りの日本刀が完成する。

 ・白銀師(しろがねし)・・・主にはばき(刀の鍔と刃のつなぎ目部分)を制作する。はばきは茎(なかご・柄に収まる部分)に装着する金具で、鞘の中で刀身を浮かせて固定する役目を持つ。

 ・鞘師・・・柄木に鮫(さめ)皮や組紐を巻く。

 ・鍔師(つば)・・・鍔を作る。

 ・漆師・・・鞘に漆等を塗る。”

焼入れによる強化

“日本刀というのは、焼入れによって刃側と棟側の体積膨張の差によって刀身に反りが生じて、刃部に圧縮応力、棟部に引張応力が生じることで力学的なバランスが保たれているそうです。これらの応力を残留応力というそうです。これらの残留応力は素材の鋼を超える強さに日本刀を強化するそうです。
焼入れによって発生する日本刀内部の残留応力分布というのは、とても複雑だそうで、現在のところ、詳細が分かっているわけではないそうです。これらを検証する場合、実際の刀身には焼入れによって残留応力が発生しているそうですが、まず「残留応力がない」と仮定して、作用する力とそれによって生じる曲げ応力の関係を考えるそうです。焼入れによって生じる残量応力というのは、素材の鍛錬した玉鋼を超える強さに日本刀を強化することになるのは知られていることだそうです。飛び焼きというものがあるそうです。刃文が刃縁から離れて、地鉄中に点在するものだそうです。地鉄一面に飛焼が複雑な形にたくさん入ったものを皆焼というそうです。これは南北朝時代の相州伝などに見られるそうです。また、刃部だけでなく、棟の部分にも施された焼刃のことを棟焼というそうです。皆焼は地金全体に焼入れを入れることではないそうです。このことからも残留応力というものによる強化メカニズムが働いていると考えられるそうです。しかし、もし刃部の残留圧縮応力および鎬から棟部にかけての残留引張応力を減少させるような焼きになっているとすれば、強化メカニズムが十分に働かないということになるそうです。美術刀剣としての評価が上がっても、武器としての日本刀ということになると疑問符がつくということだそうです。”

日本刀の鑑賞のポイント

日本刀を鑑賞するうえでおさえておきたいのが、「地肌(「地 がね 鉄」と表現することもある)」である。 地肌とは、折り返し鍛錬を行うことによってできる「地(焼き入れされていない部分)」の模様のこと。一見何の模様もないように見える「地」だが、よく見てみる と、日本刀一本一本に、独特の模様が存在する。これは、炭素の量の異なる材料を 組み合わせて折り返し鍛錬を行うことで生じる模様で、炭素が多い部分が黒っぽく 見えるために生じる現象である。 材料となる鋼をどのように折り返して鍛えるかによって模様が決まることから、 作られた時代や地域を知る手がかりの一つになる。 いためは「板目肌」「杢目肌」「柾目肌」「綾杉肌」「梨子地肌」などに大別されるが、溶かし いがた た鉄を鋳型に流し入れて作る鉄製品には決して見られない独特の模様であり、日本刀鑑賞の醍醐味ともいえる。

色彩をもつ「刃」

日本中を席巻している話題のアニメに登場する日本刀は、持ち主によってその刀の色が変化するようなのですが、現実的には今のところ、そのような刀は存在しないと思われておりますが、このたび島根県の奥出雲町の刀剣館では、実際にアニメの中で登場する主人公が刀剣を手にした時の色の刀が、展示され人気を博しているようです。最近ではその他のアニメや漫画においても、爆発的なヒットが生まれるたびに、そのモデルとなった地域が多くのファンを呼び込み社会現象を巻き起こし、各メディアによってクローズアップされたり、これまでは社会の隅の方で影の薄かった存在が、急にスポットライトを浴びはじめるようなことがありますが、今回注目を集めている刀剣が登場するアニメは、日本中の老若男が、映画化されたアニメの面白さをSNSなどで語っております。今回注目を集めている島根県の奥出雲町の黒い刀を展示する刀剣館にもしばらくは、人の波が押し寄せるのではないでしょうか。昨今のアニメブームとともに、アニメのコラボ商品が、店頭から驚くべき速さで売り切れ状態になってしまうのだそうです。アニメブームが驚くほどの数の人々やその心を動かしているのは、その作品のもっている偉大な力とも言える不思議な現象ばかりであります。

刀剣の手入れの際の注意、保管方法など

日本刀は、丁字油や打粉を使って手入れを行います。せっかく手に入れた刀であっても、手入れや保管の方法、道具の使い方を間違えてしまっては本末転倒です。そもそも日本刀は、どれくらいの頻度で手入れをすれば良いのでしょうか。あくまで時期や状態を見ながらにはなってしまいますが、三ヶ月に一度程度を目安としています。油を塗っておいたとしても、3ヶ月以上経つと、酸化をしてしまう場合があります。油が酸化すると刀身にこびりついてしまうのです。手入れは、古い油を拭い取って、その後に新しい油を塗りましょう。ただし、新しく打ったばかりの刀は特に錆びやすい状態になっています。刀が新作である場合には、半年ほどの期間は、10日に1回ほどの手入れを心がけましょう。刀剣は鉄でできているため、長い間放置していると錆びてしまうこともあります。頻繁に鑑賞するという場合には清潔なネルでぬぐう程度で問題ありません。刀剣の保管方法についてですが、まず刀の外装には拵と白鞘があります。拵は、柄や鍔のついている状態で、一般的に日本刀と言われて思い浮かべる人も多いだろう状態です。武士が腰に差している状態のものです。白鞘は、色なども塗っていない木材の状態です。外出をしないときには白鞘に入れて保管をしていたそうです。刀を保管するときには、必ず白鞘に入れて保管をしましょう。拵に刀身を長く入れておくと、拵の内部の汚れで傷がついてしまうこともあるそうです。刀身にはしっかりと油をつけて、錆びや傷などを防ぎましょう。また、もしも錆びや傷などが見られたときは、素人判断をせずに、すぐに専門家である刀剣商や研師に相談をして、手入れをしてもらいましょう。

刀剣の流派「五箇伝」

刀剣の鑑別の中で、ポイントとなる「五箇伝(ごかでん)」は、現在の奈良県の「大和伝」、京都府の「山城伝」、岡山県の「備前伝」、神奈川県の「相洲伝」、岐阜県の「美濃伝」 の地域べtに分けられた刀剣の分類を表しているようです。このような五箇伝の分類から、作者や流派の特定が行われているようです。刀剣の出生をたどることは、 現代における刀剣の鑑賞において大変重要な役割を果たしているようです。刀剣をコレクションするにあたって、五箇伝などの分類要素を知識として備えておくことは大切なことであるようです。その中でも特に歴史の長い現在の奈良県における「大和伝」は、平安時代の初めの頃から、寺院などの鍛冶職人として武器を作り始めていたようです。さらに武器の需要が高まると、山城、備前、相洲、美濃などといった 各地でそれぞれの特色を持った日本刀が作られ始め、地方へ拡散された鍛冶職人たちも、いずれかの流派の特色を汲んでいるとされているようです。