Gears-日本刀の種類と部位-

カート

日本刀の歴史について

現存する最古の在銘刀というのは、伯耆国安綱という人が作ったものであり、彼のことを「日本刀工の祖」という説もあります。

鎬造りの彎刀である太刀の出現というのは、平安中期以降と言われており、これは長寸にして騎馬戦で使いやすいようになっているものです。

この長寸で反りが高く進化した太刀というものは、武士団の勢力が増大しはじめた11世紀後半以降から、盛んに作られるようになったそうです。

武士団の勢力が増大しはじめたからだそうです。(前九年の役、後三年の役以降)
平安中期から江戸時代になる直前、慶長年間より前までにつくられた刀剣類は古刀に分類されました。

上古刀というのは、刀身と柄が一体の共柄ということでしたが、太刀、刀、脇差というのは、刀身と柄は別々に製作されています。

そして竹目釘というもので、刀身と柄は接合一体化されていました。

日本刀の作刀の「焼き入れ」

“焼き入れをすることで刃が硬くなるばかりでなく、日本刀鑑賞ポイントの「刃文」があらわれ、反りが生まれる。焼き入れの日には刀匠は神棚を清めて柏手を打ち、成功を祈る。「焼き船」と呼ばれる、焼いた刀身を水(ぬるま湯)で冷やす為の 檜の水槽は 割れない 数字「7尺」であつらえる刀匠も多い。

 焼き入れによって命を吹き込まれたがまだまだこれからです。茎(なかご)に鑢(やすり)をかけ、銘を切ったら、刀匠のてを離れ、「研ぎ師」に回される。「研ぎ」の工程では、地は青黒く、刃は白く研ぎ、棟と鎬地には光沢を出し、切先を仕上げる。

 さらに、白銀師、鞘師、柄巻師、鍔師、塗師の手により、それぞれの匠の技によって刀装小道具(刀剣を携帯し、使用しやすくするための付属物)が作られようやく一振りの日本刀が完成する。

 ・白銀師(しろがねし)・・・主にはばき(刀の鍔と刃のつなぎ目部分)を制作する。はばきは茎(なかご・柄に収まる部分)に装着する金具で、鞘の中で刀身を浮かせて固定する役目を持つ。

 ・鞘師・・・柄木に鮫(さめ)皮や組紐を巻く。

 ・鍔師(つば)・・・鍔を作る。

 ・漆師・・・鞘に漆等を塗る。”

焼入れによる強化

“日本刀というのは、焼入れによって刃側と棟側の体積膨張の差によって刀身に反りが生じて、刃部に圧縮応力、棟部に引張応力が生じることで力学的なバランスが保たれているそうです。これらの応力を残留応力というそうです。これらの残留応力は素材の鋼を超える強さに日本刀を強化するそうです。
焼入れによって発生する日本刀内部の残留応力分布というのは、とても複雑だそうで、現在のところ、詳細が分かっているわけではないそうです。これらを検証する場合、実際の刀身には焼入れによって残留応力が発生しているそうですが、まず「残留応力がない」と仮定して、作用する力とそれによって生じる曲げ応力の関係を考えるそうです。焼入れによって生じる残量応力というのは、素材の鍛錬した玉鋼を超える強さに日本刀を強化することになるのは知られていることだそうです。飛び焼きというものがあるそうです。刃文が刃縁から離れて、地鉄中に点在するものだそうです。地鉄一面に飛焼が複雑な形にたくさん入ったものを皆焼というそうです。これは南北朝時代の相州伝などに見られるそうです。また、刃部だけでなく、棟の部分にも施された焼刃のことを棟焼というそうです。皆焼は地金全体に焼入れを入れることではないそうです。このことからも残留応力というものによる強化メカニズムが働いていると考えられるそうです。しかし、もし刃部の残留圧縮応力および鎬から棟部にかけての残留引張応力を減少させるような焼きになっているとすれば、強化メカニズムが十分に働かないということになるそうです。美術刀剣としての評価が上がっても、武器としての日本刀ということになると疑問符がつくということだそうです。”

日本刀の鑑賞のポイント

日本刀を鑑賞するうえでおさえておきたいのが、「地肌(「地 がね 鉄」と表現することもある)」である。 地肌とは、折り返し鍛錬を行うことによってできる「地(焼き入れされていない部分)」の模様のこと。一見何の模様もないように見える「地」だが、よく見てみる と、日本刀一本一本に、独特の模様が存在する。これは、炭素の量の異なる材料を 組み合わせて折り返し鍛錬を行うことで生じる模様で、炭素が多い部分が黒っぽく 見えるために生じる現象である。 材料となる鋼をどのように折り返して鍛えるかによって模様が決まることから、 作られた時代や地域を知る手がかりの一つになる。 いためは「板目肌」「杢目肌」「柾目肌」「綾杉肌」「梨子地肌」などに大別されるが、溶かし いがた た鉄を鋳型に流し入れて作る鉄製品には決して見られない独特の模様であり、日本刀鑑賞の醍醐味ともいえる。

色彩をもつ「刃」

日本中を席巻している話題のアニメに登場する日本刀は、持ち主によってその刀の色が変化するようなのですが、現実的には今のところ、そのような刀は存在しないと思われておりますが、このたび島根県の奥出雲町の刀剣館では、実際にアニメの中で登場する主人公が刀剣を手にした時の色の刀が、展示され人気を博しているようです。最近ではその他のアニメや漫画においても、爆発的なヒットが生まれるたびに、そのモデルとなった地域が多くのファンを呼び込み社会現象を巻き起こし、各メディアによってクローズアップされたり、これまでは社会の隅の方で影の薄かった存在が、急にスポットライトを浴びはじめるようなことがありますが、今回注目を集めている刀剣が登場するアニメは、日本中の老若男が、映画化されたアニメの面白さをSNSなどで語っております。今回注目を集めている島根県の奥出雲町の黒い刀を展示する刀剣館にもしばらくは、人の波が押し寄せるのではないでしょうか。昨今のアニメブームとともに、アニメのコラボ商品が、店頭から驚くべき速さで売り切れ状態になってしまうのだそうです。アニメブームが驚くほどの数の人々やその心を動かしているのは、その作品のもっている偉大な力とも言える不思議な現象ばかりであります。

刀剣の手入れの際の注意、保管方法など

日本刀は、丁字油や打粉を使って手入れを行います。せっかく手に入れた刀であっても、手入れや保管の方法、道具の使い方を間違えてしまっては本末転倒です。そもそも日本刀は、どれくらいの頻度で手入れをすれば良いのでしょうか。あくまで時期や状態を見ながらにはなってしまいますが、三ヶ月に一度程度を目安としています。油を塗っておいたとしても、3ヶ月以上経つと、酸化をしてしまう場合があります。油が酸化すると刀身にこびりついてしまうのです。手入れは、古い油を拭い取って、その後に新しい油を塗りましょう。ただし、新しく打ったばかりの刀は特に錆びやすい状態になっています。刀が新作である場合には、半年ほどの期間は、10日に1回ほどの手入れを心がけましょう。刀剣は鉄でできているため、長い間放置していると錆びてしまうこともあります。頻繁に鑑賞するという場合には清潔なネルでぬぐう程度で問題ありません。刀剣の保管方法についてですが、まず刀の外装には拵と白鞘があります。拵は、柄や鍔のついている状態で、一般的に日本刀と言われて思い浮かべる人も多いだろう状態です。武士が腰に差している状態のものです。白鞘は、色なども塗っていない木材の状態です。外出をしないときには白鞘に入れて保管をしていたそうです。刀を保管するときには、必ず白鞘に入れて保管をしましょう。拵に刀身を長く入れておくと、拵の内部の汚れで傷がついてしまうこともあるそうです。刀身にはしっかりと油をつけて、錆びや傷などを防ぎましょう。また、もしも錆びや傷などが見られたときは、素人判断をせずに、すぐに専門家である刀剣商や研師に相談をして、手入れをしてもらいましょう。

刀剣の流派「五箇伝」

刀剣の鑑別の中で、ポイントとなる「五箇伝(ごかでん)」は、現在の奈良県の「大和伝」、京都府の「山城伝」、岡山県の「備前伝」、神奈川県の「相洲伝」、岐阜県の「美濃伝」 の地域べtに分けられた刀剣の分類を表しているようです。このような五箇伝の分類から、作者や流派の特定が行われているようです。刀剣の出生をたどることは、 現代における刀剣の鑑賞において大変重要な役割を果たしているようです。刀剣をコレクションするにあたって、五箇伝などの分類要素を知識として備えておくことは大切なことであるようです。その中でも特に歴史の長い現在の奈良県における「大和伝」は、平安時代の初めの頃から、寺院などの鍛冶職人として武器を作り始めていたようです。さらに武器の需要が高まると、山城、備前、相洲、美濃などといった 各地でそれぞれの特色を持った日本刀が作られ始め、地方へ拡散された鍛冶職人たちも、いずれかの流派の特色を汲んでいるとされているようです。

刀剣の目利書とは

鎌倉時代初期あたり、後鳥羽上皇の時代には、刀剣の目利きが行われていたようです。武器であった日本刀が、美術品としてその価値が一部の階層の人々の間にもたれていたようです。その鑑賞に関する方法も、個人的な判断ではなく、しだいに流行や風潮といったような、社会的な鑑賞法として評価になっていあったのではないかと考えられているようです。現在にも、一般的な刀剣の鑑賞法や評価がありますが、ほぼ似たような視点から人々は刀剣に価値を抱いてもいたようです。刀剣に関する情報が世の中に広まる中で、様々な評価が生まれてきたようです。刀剣に関する一般的な指針を示したものを「刀剣目利書」と呼ぶそうですが、現存する最古のものは、1423年頃のものであるようです。このような目利書を追ってみますと、時代のはじめの頃は、刀剣に対する切れ味や強靭さなどの実用的な部分を主観とされていたようです。また、刀の縁起や所有者に関する吉凶などの良し悪しが重要視されてもいたようです。このような鑑定ポイントが、室町時代の後半になると刀剣の美術的価値を述べる観点が重要ともなってくるようです。

太刀と大太刀

日本刀には、様々な種類があります。歴史とともに、形やそのネーミングは変わってきました。特に長さなどは、その分類の特徴を捉えるのにわかりやすい要素であるのではないでしょうか。日本刀には主に「太刀」「大太刀」「打刀」「脇差」「短刀」「槍」「薙刀」などの6種類ほどの分類があるなどと考えられているようですが、細かなパーツの種別は、バリエーション豊富にその特徴の違いを捉えられているようです。平安時代の後期から少しずつ作られるようになった「太刀」は、おおよそ室町時代の初めの頃まで、世に現役の刀として流通していたようです。騎馬戦などで有利であるなどと言われていますが、形状の特徴としては刃を下にすることです。腰に吊るすようにして帯刀します。観賞用として、飾る際にも刃を下に向けることが特徴と言えるでしょう。「大太刀」は、太刀よりも長く大きなものを言います。戦いの中で使用されるだけではなく、神を祀る際も御神体などとしても存在しています。室町時代の後期には、武士たちのシンボルとして大太刀は、活躍したようです。